5分でわかる!徳川家茂の時代(1)―貿易の開始
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この動画の要点まとめ
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安政の五カ国条約は「違勅条約」だった!
前回の授業では、日米修好通商条約までを勉強しましたね。日本は、これと同様の修好通商条約を、オランダ、イギリス、フランス、ロシアとも結びます。これらを合わせて、安政の五カ国条約と呼びます。
和親条約を結んだ相手国は、アメリカ、オランダ、イギリス、ロシアでしたね。ここにフランスが加わっての5つの国です。
そして、これらはすべて、 天皇の許可を得ていない「違勅条約」 でした。このことは、大老・井伊直弼への批判を高めることにつながります。
貿易開始!輸出品のエースは生糸だった!
修好通商条約が結ばれたことで、1859年より、いよいよ貿易が始まりました。
その内容を確認してみましょう。
まずは主な品目を確認します。輸入品は毛織物・綿織物・武器です。対して輸出品は生糸・茶・蚕卵紙などでした。
特に輸出品の生糸(絹の原料)は重要です。幕末の貿易において、輸出品目の80%を占めていただけでなく、このあと、明治・大正・昭和に至るまで、日本の輸出品目の中で中心的な存在であり続けます。
貿易の中心地は横浜だった!
貿易が行われた中心港を見ていきましょう。中心地となったのは横浜でした。
もともと、通商条約で開港することになっていたのは神奈川でしたね。(神奈川県全体という意味ではなく、「神奈川」という地区を指します。)
神奈川は人口の多い栄えた町でした。そこに多くの外国人が流入すると混乱を招くという懸念から、少し離れた横浜村に港を新設することになったのです。横浜は、開港地の中で最も江戸に近かったことから、最大の貿易量を誇り、これ以降、栄えていくことになります。
貿易の相手国が、アメリカじゃない!?
幕末における貿易の、中心相手国はイギリスでした。開国に対して最も熱心だったのはアメリカだったのに、 「貿易の中心相手国はアメリカではなかった」 ということをしっかりおさえましょう。
実はこの頃、アメリカ国内では南北戦争という、国内での大規模な戦争が勃発していました。そのため、日本との貿易どころではなくなっていたのです。
日米修好通商条約締結後の情勢を見ていきましょう。
まずは1つめのポイント、安政の五カ国条約と貿易についてです。