高校日本史B
5分でわかる!徳川家茂の時代(7)―討幕運動
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徳川家茂の時代(7)
これでわかる!
ポイントの解説授業
長州藩の敗北
1864年、幕府は第一次長州征討を行いました。幕府に反抗的であった長州藩を、禁門の変で弱っているのを機に、叩いてしまおうと考えたわけです。征討には薩摩藩なども加わり、長州藩は降伏します。
また、同年、下関事件の報復として、英米仏蘭が長州藩を攻撃するという、四国艦隊下関砲撃事件が発生しました。これにより、長州藩は下関を占領されてしまいます。
こうして、長州藩は、幕府にも外国にも敗れてしまいました。長州藩は、攘夷は不可能であり、外国の力を借りながら幕府を倒すべきだという方向へ、方針を転換します。
これは、薩英戦争を経た薩摩藩と、考え方を同じくするものでした。
薩長同盟の成立
「外国の力を借りながら幕府を倒す」という戦略で一致した薩摩藩と長州藩は、1866年に、薩長同盟を結びます。これにより、薩摩藩と長州藩は、相互援助と武力倒幕を約束しました。
薩摩藩の代表は西郷隆盛、長州藩の代表は桂小五郎(のちの木戸孝允)で、仲介したのは土佐藩出身の坂本竜馬でした。薩摩藩と長州藩は禁門の変で戦ったこともあり、もともと犬猿の仲だったため、第三者の仲介が必要だったのです。
ちなみに、坂本竜馬については、海援隊という商社のようなものを組織していたこともおさえておきましょう。
1866年には、幕府による第二次長州征討が行われましたが、薩長同盟を踏まえ、薩摩藩は参加しませんでした。薩摩藩の不参加もあって足並みが揃わず、幕府は苦戦を強いられます。
いよいよ、幕府滅亡が、すぐそこまで迫ってきました。
3つめのポイント、長州藩の敗北と薩長同盟についてです。