高校日本史B
5分でわかる!江戸幕府の滅亡
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
江戸幕府の滅亡
これでわかる!
ポイントの解説授業
王政復古の大号令と、慶喜の排除
1867年、大政奉還の約2か月後、朝廷から王政復古の大号令が出されます。
大政奉還は、幕府が朝廷に提出し、将軍職を返上したものでしたね。王政復古の大号令は、朝廷による、新たな政治体制の宣言です。
そこで、摂関・幕府といったシステムが廃止され、新たに総裁・議定・参与という三職が設置されました。
総裁は有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王、議定は公家や藩主、参与は下級武士や下級貴族が務めることになりました。
ポイントは、この政治体制の中に、元将軍の徳川慶喜が含まれていないことです。
薩摩藩や長州藩ら、新体制を主導する立場としては、強大な権力を持っていた将軍は、排除すべき存在だったわけです。
挑発される慶喜、そして戊辰戦争へ
慶喜排除の動きは、これにとどまりません。王政復古の大号令が出された夜、小御所会議が行われ、慶喜の辞官(朝廷における内大臣職の返上)と納地(領地の返上)が決定されました。
これは、絶大な権力を持っていた旧江戸幕府の勢力を完全に削ぐものであり、同時に、慶喜に対する挑発でした。
慶喜自身は、こうした侮辱的措置をも冷静に受け入れました。大政奉還も終えた今、ここで反発すれば自らが天皇に敵対する逆賊となってしまうことを、慶喜はよく分かっていました。
しかし、将軍に仕えてきた旧幕臣たちは、これを看過することができずに暴発してしまいます。旧幕府勢力と朝廷側新政府による、戊辰戦争の勃発です。
詳細は、次回の授業で見ることにしましょう。
秩序を失う民衆と、「ええじゃないか」
幕府滅亡前後の混迷した時期には、当然ながら民衆も秩序を失い、世直し一揆や打ちこわしが頻発しました。
また、1867年には 「ええじゃないか」 と踊り狂う民衆が見られました。
2つめのポイント、戊辰戦争に至る経緯についてです。