高校日本史B
5分でわかる!条約改正問題
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この動画の要点まとめ
ポイント
条約改正問題
これでわかる!
ポイントの解説授業
「領事裁判権」と「関税自主権」!
まずは江戸時代の復習から始めましょう。
幕末に結んだ修好通商条約により、日本は外国に対して2つの不平等を抱えることになりました。
1つめは、領事裁判権の承認です。外国人が日本で犯罪を起こしたとき、外国の領事がこれを裁判する事を認めていました。外国人を、日本の法律で裁く事が許されていなかったわけです。
2つめは、関税自主権の欠如です。貿易の際に日本が課す税を、日本は自主的に決める事ができませんでした。
明治政府は、これら不平等条約の解消、具体的には領事裁判権の撤廃(法権回復)と関税自主権の回復(税権回復)を目指して、外交努力を行うことになります。
相手にされなかった「岩倉遣外使節」
1871年に岩倉具視を全権大使とする岩倉遣外使節が欧米に渡り、条約改正の予備交渉を行いましたが、これは相手にされず失敗に終わりました。
不平等条約を解消するためには、近代的な法整備が必要だと考えた岩倉らは、欧米の制度などを視察して帰国しました。
ちなみに、この時、岩倉以外に、副使として大久保利通、木戸孝允、伊藤博文らも欧米に渡っていた事も復習しておきましょう。
また、岩倉たちが渡航している間、政府の中心にいたのは西郷隆盛らでした。こちらもおさえておきましょう。
寺島宗則の交渉を阻んだ「最恵国待遇」!
1878年には、外務卿寺島宗則が税権回復を目指して条約改正交渉を行いました。その結果、アメリカの賛成を得るに至りましたが、イギリス・ドイツが反対し、失敗に終わりました。
こちらも幕末の話ですが、日本はアメリカに対して最恵国待遇を与えていました。イギリスやドイツがより有利な条約を結んでいた場合、その条件はアメリカにも適用されるわけです。
そのため、不平等条約を改正するためには、条約を締結した全ての国の賛成を、同時に得る必要があったのです。
明治初期の外交について見ていきます。
まずは1つめのポイント、条約改正問題についてです。