高校日本史B

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5分でわかる!条約改正問題

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この動画の要点まとめ

ポイント

条約改正問題

近代16 単語1
近代16 ポイント1

これでわかる!
ポイントの解説授業
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明治初期の外交について見ていきます。
まずは1つめのポイント、条約改正問題についてです。

「領事裁判権」と「関税自主権」!

近代16 ポイント1 ☆条約改正問題 の囲み 

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まずは江戸時代の復習から始めましょう。
幕末に結んだ修好通商条約により、日本は外国に対して2つの不平等を抱えることになりました。

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1つめは、領事裁判権の承認です。外国人が日本で犯罪を起こしたとき、外国の領事がこれを裁判する事を認めていました。外国人を、日本の法律で裁く事が許されていなかったわけです。
2つめは、関税自主権の欠如です。貿易の際に日本が課す税を、日本は自主的に決める事ができませんでした。

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明治政府は、これら不平等条約の解消、具体的には領事裁判権の撤廃(法権回復)と関税自主権の回復(税権回復)を目指して、外交努力を行うことになります。

相手にされなかった「岩倉遣外使節」

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1871年に岩倉具視を全権大使とする岩倉遣外使節が欧米に渡り、条約改正の予備交渉を行いましたが、これは相手にされず失敗に終わりました。
不平等条約を解消するためには、近代的な法整備が必要だと考えた岩倉らは、欧米の制度などを視察して帰国しました。

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ちなみに、この時、岩倉以外に、副使として大久保利通木戸孝允伊藤博文らも欧米に渡っていた事も復習しておきましょう。
また、岩倉たちが渡航している間、政府の中心にいたのは西郷隆盛らでした。こちらもおさえておきましょう。

近代16 ポイント1 岩倉遣外使節の画像 キャプションあり 

寺島宗則の交渉を阻んだ「最恵国待遇」!

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1878年には、外務卿寺島宗則が税権回復を目指して条約改正交渉を行いました。その結果、アメリカの賛成を得るに至りましたが、イギリス・ドイツが反対し、失敗に終わりました。
こちらも幕末の話ですが、日本はアメリカに対して最恵国待遇を与えていました。イギリスやドイツがより有利な条約を結んでいた場合、その条件はアメリカにも適用されるわけです。
そのため、不平等条約を改正するためには、条約を締結した全ての国の賛成を、同時に得る必要があったのです。

この授業の先生

黒川 広貴 先生

「どこがテストに出るの?」「どうやって覚えたらいいの?」「どうしたら点数がとれるの?」という疑問に答え、着実に点数を伸ばすための授業を展開。

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