高校日本史B
5分でわかる!憲法制定の準備
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この動画の要点まとめ
ポイント
憲法制定の準備
これでわかる!
ポイントの解説授業
伊藤博文、ドイツ流の憲法を学ぶ!
1882年、憲法制定の準備のため、伊藤博文が渡欧しました。伊藤は、ベルリン大学でグナイストに、ウィーン大学でシュタインにそれぞれ師事し、プロイセン憲法を学びます。
プロイセンというのは、ドイツのことです。当時のドイツは、先進国であったイギリスやフランスに追いつくべく、国力を高めるために、国家主義的な憲法を採用していました。
明治政府が参考にしたのは、そうしたドイツ流の憲法だったという点がポイントです。
貴族院創設を見据えた「華族令」!
憲法制定、国会開設を考えたとき、日本の国会では、衆議院と貴族院の二院制が採られることが想定されました。この貴族院の議員には、主に華族が選ばれることになるため、政府は、貴族院創設に備えて、華族を増やす事を目指しました。これが、華族令です。
華族令で、政府は 「公、侯、伯、子、男」 という5段階の爵位を創設しました。爵位に上下をつけることで、かつての大名など、以前から華族であった層からも不満が出ないようにしたわけです。
では、政府による憲法制定の準備を見ていきましょう。