高校日本史B
5分でわかる!自由党の激化事件
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この動画の要点まとめ
ポイント
自由党の激化事件
これでわかる!
ポイントの解説授業
自由民権運動、各地で警察と衝突!
伊藤博文が憲法制定の準備のために渡欧した1882年頃から、自由党を中心とする自由民権運動が激しさを増し、警察と衝突、逮捕者が出るといった事件が相次ぎます。順番に見ていきましょう。
まずは、1882年に福島県で起きた福島事件です。福島県令の 三島通庸(みしまみちつね) による厳しい政治に、自由党員が抗議運動を行います。
これにより、自由党幹部の河野広中らが逮捕され、それが一層の反発を生んで大騒動となりました。
続いて、1884年、茨城県で加波山事件が発生します。これは、自由党員によって県令の暗殺が計画され、それが失敗するという事件でした。
加波山事件をきっかけに、自由党は解党に追い込まれます。
自由党解党後も、自由民権運動と警察との衝突事件は続きます。その一つが、埼玉県で起きた秩父事件です。
貧しい農民たちが、借金党や困民党などと名乗って放棄した事件です。
また、翌1885年には、大阪事件が発生します。
これは、朝鮮に渡って政権を打倒し、その上で日本政府に圧力をかけようという大掛かりな計画でした。しかし、これは実行者たちが渡航直前に逮捕され、未然に防がれました。
前回の授業では、憲法制定の準備段階について学習しました。今回は、それと同時並行的に進んでいた世の中の動きを見ていきましょう。
まずは、自由党の激化事件です。