5分でわかる!松方財政
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この動画の要点まとめ
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「松方財政」=「デフレ政策」!
松方財政は、大蔵大臣・松方正義によって主導された経済政策の事です。大蔵大臣は、元々は大蔵卿と呼ばれていたものですね。1885年に内閣制度が発足すると、呼称が大蔵大臣となります。
松方財政というのは、端的にいうとデフレ政策です。デフレーション、つまり、貨幣価値を上げ、物価を下げる政策ですね。
この政策が実行された背景には、1877年の西南戦争がもたらしたインフレーションがありました。
政府はインフレで困っていた!
政府は、戦費調達のために、大量の不換紙幣を発行していました。不換紙幣というのは、金や銀と交換できない紙幣のことです。これによって貨幣価値が下落し、物価が上昇、つまりインフレーションが起きていました。
インフレになると何が問題なのでしょう。
この時代、政府の主な収入は地租です。地租は、地券に書かれた地価をもとに決められています。つまり、額面としての政府の収入は基本的に一定です。
収入は変わらないのに、インフレ(物価の上昇)が起きると、財政は苦しくなってしまうというわけです。
「紙幣整理」と「銀本位制」!
では実際に、どのような政策が行われたか見てみましょう。
1つ目は、紙幣整理です。政府は、酒税など増税により税収を増やすとともに、歳出を削減しました。こうすると、世の中に出回っている紙幣の数が減少しますね。
数が減ると、紙幣1枚あたりの価値が上昇します。つまり、貨幣価値が上がるというわけです。
2つ目は、銀本位制の採用です。
1882年、日本銀行が設立され、1885年以降、中央銀行である日本銀行のみが銀兌換銀行券を発行するという仕組みを採用しました。この、銀本位制の導入は、渋沢栄一らの考えがもとになっています。
紙幣が銀と交換できる(銀兌換)ことで、紙幣の価値が保証されます。こうして、貨幣価値の上昇が導かれました。
ちなみに、ヨーロッパで採用されている金本位制ではなく、銀本位制が採用されたのは、幕末の貿易によって国内の金が不足していたからです。
その他、官営事業の払い下げの推進なども行われました。例としては、長崎造船所の三菱への払い下げなどが挙げられます。
今回は、1880年代の、松方財政を中心に見ていきます。経済面でのターニングポイントとなる、重要な項目です。