高校日本史B
5分でわかる!伊藤博文内閣① (民衆運動)
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
伊藤博文内閣(民衆運動)
これでわかる!
ポイントの解説授業
大同団結!自由民権運動の復活!
1886年から、自由民権運動が復活します。
これは、旧自由党と立憲改進党が、民主的な政権をつくりたいという大きな目標は一致しているとして団結したもので、大同団結運動と呼ばれます。
「三大事件建白運動」とその弾圧!
大同団結運動と並んで、1887年には三大事件建白運動と呼ばれる動きが盛んになります。
これは「三大事件」、即ち3つの事柄について改善を要求する運動でした。
その1つ目は、地租軽減です。この時、地租は3%から2.5%に引き下げられていました。しかし、デフレの影響もあり、民衆の暮らしは楽ではありませんでした。
2つ目は、言論の自由についてです。当時は、集会条例といった弾圧立法で、言論の自由は制限されていましたね。
3つ目は、外交失策の挽回です。これは条約改正交渉の失敗を批判したものです。
こうした動きに対し、政府は保安条例という法律を制定して弾圧します。これは、民権派が政治の中心地に近付けないようにするもので、尾崎行雄、中江兆民、片岡健吉、星亨など500名以上が弾圧の対象となりました。
民権運動と、それに対する弾圧立法はセットでおさえるようにしましょう。
愛国社に対して讒謗律・新聞紙条例、国会期成同盟に対して集会条例、そして三大事件建白運動に対して保安条例です。
伊藤博文内閣の時期における民衆運動について見ていきましょう。