高校日本史B
5分でわかる!山形有朋内閣①
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この動画の要点まとめ
ポイント
山県有朋内閣①
これでわかる!
ポイントの解説授業
地方制度の整備と、初めての選挙!
黒田清隆内閣を継いだ山県有朋内閣の政治から見ていきます。
1890年、府県制・郡制が整備されます。1888年に定められた市制・町村制と同じく、地方制度についての規定です。市制・町村制と同様、ドイツ人モッセの助言によって進められました。
また、同じ1890年には、第1回衆議院議員選挙が行われます。この結果をもとに、第1回帝国議会(第一議会)が開かれます。
多数派の民党に対し、政府はどう動いたか?
総選挙の結果、衆議院の300議席のうち、吏党が129議席、民党が171議席を獲得し、民党が多数派となりました。
民党は政費を節減し、税負担を軽減する事を目指していますから、政府が軍備増強を盛り込んだ予算案を提出しても、議会はこれを承認しません。
首相である山県有朋が直々に演説を行って理解を求めても、あまり効果はありませんでした。
最終的に、政府は民党のうち、自由党土佐派の議員を買収して切り崩しを行うことで、強引に予算を成立させます。
こうした事態に対して抗議する意味合いで、自由党の中江兆民が議員辞職したこともおさえておきましょう。
今回は、初期議会、日清戦争前までの国会と、政府の動きについて見ていきましょう。
まずは、第1次山県有朋内閣の時代です。