高校日本史B
5分でわかる!伊藤博文内閣② (日清戦争後)
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この動画の要点まとめ
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伊藤博文内閣②(日清戦争後)
これでわかる!
ポイントの解説授業
遼東半島を苦渋の返還!「三国干渉」!
1895年4月、下関条約締結の直後ですね、ロシアが、ドイツ・フランスとともに、遼東半島を清に返還するよう要求してきます。これを三国干渉といいます。
遼東半島の場所を確認しながら説明しましょう。
遼東半島は、朝鮮とも北京とも近く、ここをおさえていると、朝鮮・清の両国を常に監視下に置けるという場所でした。また、軍港を置く場所としても極めて都合が良かったのですね。
そのため、ロシアは日本が遼東半島を領土とする事を強く警戒したわけです。
政府は、仕方がなくこの要求を飲みます。日清戦争直後の日本には、ロシア・ドイツ・フランスからの圧力をはねのけるだけの力はとてもありませんでした。
国民は「臥薪嘗胆」をスローガンに、ロシアに対する苛立ちを抱えつつ、この状況を受け入れることになります。
台湾統治の始まりと朝鮮の動き
遼東半島は返還することになりましたが、台湾と澎湖諸島は日本の領土となりました。
1895年、日本は台湾総督府を設置し、ここから本格的に台湾の統治が始まることになります。
初代の台湾総督は、樺山資紀が就任しました。
また、同年、朝鮮では政権担当者であった閔妃が、三浦梧楼や大院君らによって殺害される事件が起こりました。
伊藤博文内閣と自由党が提携!
日清戦争を経て、国内の政治も様相が変わり始めます。
1896年には、伊藤博文内閣は自由党と提携し、板垣退助が内相として入閣しました。
なぜ、自由党は政府に協力するようになったのでしょう。その背景には、国民の心情の変化がありました。
初期議会の頃は、国民は税負担の軽減のため、政府の軍備拡張方針には反対でしたね。
しかし、先ほど見てきたような、ロシアに対する悔しさと、日清戦争で得た莫大な賠償金をきっかけに、軍備拡張を容認する風潮が強まっていったというわけです。
今回は、日清戦争後の状況について国際関係を中心に見ていきましょう。