5分でわかる!桂太郎内閣②
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この動画の要点まとめ
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社会主義は冬の時代へ!「大逆事件」
第1次西園寺公望内閣に代わって、第2次桂太郎内閣が発足します。
まず、満鉄の経営に関する動きを少し確認しておきましょう。
1909年、アメリカの国務長官ノックスが、満鉄の中立化を提案してきます。(ノックスの中立案)
アメリカの本音としは、鉄道に関わる権益を得たいわけですが、日本とロシアはこれを拒否します。
以前、日本はアメリカの鉄道王ハリマンの提案も拒否しましたが、このように、日米関係は少しずつ悪化していきます。
国内の出来事で特に見るべきは、1910年の大逆事件です。
明治天皇暗殺計画を名目に、社会主義者が大逆罪という罪に問われた事件で、幸徳秋水や管野スガらが死刑となります。
この事件を受けて、1911年には、警視庁内に特別高等課が設置されて社会主義運動が取り締まられるようになります。
以後、およそ10年の間、社会主義者はほとんど活動ができない、冬の時代を迎えることになります。
伊藤博文の暗殺と「韓国併合」!
続いて、日韓関係を見てみましょう。
第三次日韓協約を機に、韓国の義兵運動が激化したところまでは既に確認しました。
1909年、その義兵運動のメンバーでもあった安重根により、満州のハルビンにおいて、伊藤博文が暗殺されるという事件が起きます。
伊藤博文という明治時代の日本にとって最重要と言っても過言でない人物が殺害され、日本はその報復的対応に出ます。
1910年、韓国併合条約の締結です。
これにより、韓国という国家は否定され、朝鮮と改称して日本の一部として吸収されます。
朝鮮統治のために、朝鮮総督府が設置され、初代総督には寺内正毅が就任しました。
明治の終わり、遂に不平等条約改正を達成!
1911年には、小村寿太郎外相により、日米通商航海条約が改正され、日本は税権回復を達成します。
江戸時代末期に結ばれた不平等条約が、1894年の法権回復と合わせて、明治の終わりにようやく解消されるに至ったわけです。
また、同じく1911年には工場法が制定されます。これは、労働時間などを制限した初の労働者保護立法です。
大逆事件などを経て、労働者の不満は蓄積していましたから、それに対する政府の動きとして理解するとよいでしょう。
ただし、施行は1916年と遅く、小規模の工場には適用されないなど、充分な内容とはいえませんでした。
今回は、明治時代の最後の部分を見ていきましょう。まずは第2次桂太郎内閣です。