高校日本史B
5分でわかる!西園寺公望内閣②
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
西園寺公望内閣②
これでわかる!
ポイントの解説授業
陸軍のストライキで内閣総辞職!?
1912年、明治天皇が亡くなり、大正時代が始まります。一世一元の制といって、1人の天皇につき、1つの元号が使われるのでしたね。
政府の動きを見てみましょう。1912年、陸軍より、内閣に対して二個師団増設要求が行われます。軍備拡張のために予算を出してほしいという要求ですね。
しかし、西園寺内閣は、財政難を理由にこれを拒否します。日露戦争で莫大な戦費を投じた政府の財政には、更なる軍備拡張のための余裕はありませんでした。
これに対し、なんと陸軍大臣の上原勇作は辞任、そして陸軍は内閣に対して後任の大臣を出さないという、いわばストライキのような行動に出ます。
この結果、第2次西園寺公望内閣は総辞職に追い込まれてしましました。
なぜ陸軍のストライキで内閣が総辞職することになるのか、答えることができるでしょうか。
その原因は、軍部大臣現役武官制にあります。
軍部大臣になることができるのは、現役の大将・中将のみでした。そのため、軍部が内閣への協力を拒否すると、内閣は軍部大臣を立てる事が出来ず、内閣を組織する事ができないのでした。
こうした状況下、西園寺に代わって組閣したのはまたもや桂太郎でした。
しかし、この組閣は大きな問題をはらむものでした。次のところで、詳しく見ていきましょう。
今回から、大正時代について見ていきましょう。まずは、第2次西園寺公望内閣の続きですね。