高校日本史B
5分でわかる!桂太郎内閣③
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この動画の要点まとめ
ポイント
桂太郎③
これでわかる!
ポイントの解説授業
内大臣だった桂の組閣に、倒閣運動が発生!
1912年、第2次西園寺公望内閣の総辞職を受けて、急きょ、第3次桂太郎内閣が発足します。
しかし、これには大きな反発が発生しました。本来、天皇の補佐の役割を持ち、組閣する立場ではない内大臣の職にあった桂が組閣したためです。
これは、第一次護憲運動という倒閣運動につながっていきます。
この運動の主導者は、立憲政友会の尾崎行雄や、立憲国民党の犬養毅らでした。
彼らは、 「憲政擁護」「閥族打破」 をスローガンに、桂の退陣を求めます。
「憲政擁護」というのは、上に記したように、宮中(皇室)と府中(政府)の別を守るべきだという主張です。
「閥族打破」というのは、長州閥の後継者として権力を握っていた桂に対する攻撃ですね。
民衆のデモが内閣を倒す!「大正政変」!
こうした批判に対して、桂は立憲国民党の一部を切り崩して新党結成を宣言し、倒閣運動の勢いをそごうと動きます。
この時宣言された「新党」は、桂の死後に立憲同志会として設立されます。
このようにして、桂は内閣の存続を図ったのですが、第一次護憲運動は大規模な民衆のデモへと発展し、これにより第3次桂内閣は倒れることになったのでした。この事件を、大正政変といいます。
民衆の運動によって内閣が倒れるというのは、かなり珍しいケースです。
この時期、それだけ民主主義的な風潮が色濃くなってきていたのだという点をおさえておくとよいでしょう。
では、第3次桂太郎内閣について見ていきましょう。