高校日本史B
5分でわかる!原敬内閣 (パリ講和条約とその影響)
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この動画の要点まとめ
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原敬内閣(パリ講和会議とその影響)
これでわかる!
ポイントの解説授業
ドイツ権益継承へ!「ヴェルサイユ条約」!
1919年、第一次世界大戦が三国協商側の勝利で終結し、パリ講和会議が開かれます。日本からは、西園寺公望が全権として参加しました。
ここで、講和条約であるヴェルサイユ条約が調印されますが、この条約で日本が国際的に承認を得たものを2つ、確認しておきましょう。
1つ目は、山東省の旧ドイツ権益の継承です。これは、二十一カ条の要求で中国に迫った内容ですね。これが国際的に認められることになります。
2つ目は、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の委任統治です。大戦中、日本は中国のほかに南洋諸島のドイツ領も攻撃していましたね。これらの土地についても、委任統治という形で支配下に置くことが認められたわけです。
ヨーロッパの国々から反発する意見が出ながらも、これらの日本の要望が受け入れられたことは、日本の国際的地位の向上を示すものでもありました。
条約内容に中国が反発!「五・四運動」!
ヴェルサイユ条約の内容に対して、中国は猛反発しました。中国からすれば、ドイツが敗れた以上、山東省は中国に返還されるべきであり、それを日本が受け継ぐ事は受け入れられません。
これにより、五・四運動という大規模な反日民衆運動が発生しました。
翌1920年には、アメリカ大統領ウィルソンの提唱により、国際連盟が発足します。
日本は、ここでイギリス・フランス・イタリアとともに常任理事国となりました。こうした事からも、日本の国際的地位向上がうかがえますね。
ちなみに、アメリカとソ連が不参加であったこともおさえておきましょう。
では、パリ講和会議とその影響について見ていきましょう。原敬内閣の続きですね。