5分でわかる!高橋是清内閣
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この動画の要点まとめ
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原と同じ政友会の高橋是清が組閣!
原敬の刺殺を受け、次に内閣を組織したのは、原と同じ立憲政友会に所属していた高橋是清でした。
この高橋是清内閣において特に見るべきなのは、1921年から22年にかけて行われた、ワシントン会議です。
これは、アメリカ大統領ハーディングの提唱で開かれたもので、日本からは全権として海軍の加藤友三郎や、幣原喜重郎が出席します。
「太平洋」「中国」に関する2つの条約!
ワシントン会議では、主に3つの条約が締結されます。
まずはその中の2つ、四カ国条約と九カ国条約について確認しましょう。
四カ国条約では、太平洋問題について、九カ国条約では中国問題についての取り決めがなされました。
太平洋と中国は、ともに第一次世界大戦の際に日本が侵攻し、ヴェルサイユ条約においてその権益を認めさせた地域でしたね。
ごく簡単にいえば、これらの条約は、日本からそうした権益を奪う内容でした。例えば、ドイツから引き継いだ山東省の支配権も、九カ国条約により中国に返還することになります。
これに伴い、日本の権益を保証していた条約などは廃棄されることになります。
四カ国条約では日英同盟が、九カ国条約では石井・ランシング協定がそれぞれ廃棄されました。
日本の勢力拡大を危惧していたアメリカなどにとっては、むしろこの同盟廃棄などの方が目的だったのですね。
国際協調路線!「ワシントン海軍軍縮条約」
そして、ワシントン海軍軍縮条約では、列強の主力艦の保有率について上限が定められ、アメリカやイギリスに対して、日本は6割(5:3の割合)を上限とすることになりました。
日本は大戦景気をきっかけに軍備の増強に取り掛かろうとしていたため、この条約に従うと、軍艦を廃棄する必要がありました。
そのため、国内や海軍内からも反対の声がありましたが、海軍出身で全権の加藤友三郎がこれを押し切る形で、条約は調印されました。
こうして、ワシントン会議における3つの条約では、日本は権益を手放し、軍備を縮小することになりました。
そこには、日本の勢力拡大を危惧する欧米の思惑がある一方、国際連盟の常任理事国である日本としても、国際協調路線に足並みを揃える必要があったといえます。
今回も、大正時代の続きを見ていきましょう。まずは、高橋是清内閣です。