高校日本史B
5分でわかる!山本権兵衛内閣②
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この動画の要点まとめ
ポイント
山本権兵衛内閣②(大戦後の状況)
これでわかる!
ポイントの解説授業
組閣中に「関東大震災」発生!
加藤友三郎の病死により、同じ海軍出身の山本権兵衛が、再び内閣を組織することになります。
しかし、その組閣準備中に、大事件が起こります。1923年9月1日、関東大震災の発生です。
これにより、第2次山本権兵衛内閣は、組閣直後から震災の処理に追われることになります。
政府は戒厳令を敷いて、軍による治安維持に取り組みました。
(戒厳令は、明治時代の日比谷焼打ち事件の際にも出されていましたね。)
以下、震災後に起きた数々の混乱を見ていきましょう。
数々の混乱、そして「虎ノ門事件」!
まずは、朝鮮人殺害事件です。震災直後、朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいるとか、暴動を計画しているといったデマが流れ、疑われた在日朝鮮人が多数虐殺されました。
亀戸事件というのは、反政府的な労働運動を行っていた活動家が、亀戸警察署で拷問を受けて殺害された事件です。
甘粕事件は、憲兵大尉・甘粕正彦によって、大杉栄や伊藤野枝といった社会主義者が殺害された事件です。
このように、震災の大混乱の中、朝鮮人や労働者、社会主義者といった、いわゆる社会的弱者が不当に殺されるような事件が、多数発生しました。
そして、きわめつけに虎ノ門事件が発生します。
これは、摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が、左翼に狙撃されるという事件です。
皇太子の暗殺未遂という大事件の責任を取る形で、第2次山本権兵衛内閣は総辞職することになりました。
また、震災の影響で日本は経済的にも大打撃を受け、不況に突入します。
これを震災恐慌と呼びます。
第一次世界大戦後にも、戦後恐慌という不況に見舞われたばかりでした。
震災の不況という、経済の情勢についてもおさえておきましょう。
続いて、第2次山本権兵衛内閣について見ていきましょう。