高校日本史B
5分でわかる!清浦圭吾内閣
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清浦奎吾内閣
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ポイントの解説授業
超然主義の清浦内閣に、政党勢力が反発!
第2次山本権兵衛内閣が倒れ、清浦奎吾内閣が発足します。
清浦奎吾内閣は、貴族院を中心に構成された超然主義的な内閣でした。選挙で選ばれたのではない議員が重用され、政党は軽んじられたというわけですね。
こうした清浦内閣を批判する形で発生したのが、1924年、第二次護憲運動です。
憲政会の加藤高明、革新俱楽部の犬養毅、立憲政友会の高橋是清らが中心となって運動を起こし、これら3つの政党は護憲三派と呼ばれました。
この倒閣運動によって、清浦内閣は総辞職に追い込まれました。
補足ですが、加藤高明の憲政会は、もともと桂太郎の主導で結党された立憲同志会の流れを汲む政党です。
憲政会は後に立憲民政党となり、立憲政友会と並んで二大政党制を築くことになります。
今回は、大正時代の最後のところですね、清浦奎吾内閣から見ていきましょう。