高校日本史B
5分でわかる!大正デモクラシー (婦人運動)
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この動画の要点まとめ
ポイント
大正デモクラシー(婦人運動)
これでわかる!
ポイントの解説授業
女性の政治活動解禁へ「新婦人協会」!
当時の女性は参政権なども与えられず、社会的地位は大変低かったといえます。そこで、女性自身の手で地位向上を訴えていくという動きが見られるようになります。青鞜社や、新婦人協会がその代表と言えるでしょう。
青鞜社は、1911年、平塚らいてうによって結成された団体で、文芸雑誌 『青鞜』 を刊行しました。
「元始女性は太陽であった」というフレーズが有名ですが、青鞜社は文芸活動を通じて女性の社会的地位向上を訴えていきます。
そして1920年には、平塚らいてうや市川房枝によって、新婦人協会が結成されます。
これは、女性の政治活動を禁じた治安警察法5条の改正という、明確な目的を持って作られたものです。当時の女性は、参政権はおろか、政治集会に参加する事すら禁止されていたのですね。
新婦人協会の運動は成果を上げ、治安警察法5条は改正されることになります。
その他の婦人運動も見てみましょう。
1921年には、山川菊栄や伊藤野枝によって、赤瀾会が結成されます。これは、社会主義の組織です。
また、1924年には市川房枝らによって婦人参政権獲得期成同盟会が組織されます。
その名の通り、婦人参政権の獲得を訴えるものですが、こちらは上手くいきません。婦人参政権が与えられるのは、第二次世界大戦後まで待つことになります。
目的の達成された新婦人協会との違いを、しっかりおさえておきましょう。
今回は、大正デモクラシーの後半を見ていきます。まずは、婦人運動から確認していきましょう。