高校日本史B
5分でわかる!若槻礼次郎内閣① (協調外交)
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この動画の要点まとめ
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若槻礼次郎①(協調外交)
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ポイントの解説授業
若槻礼次郎憲政会内閣と昭和改元!
大正時代の終わり、加藤高明内閣に引き続き、憲政会を基盤とする第1次若槻礼次郎内閣が発足します。
そして、1926年12月に大正天皇が亡くなり、摂政宮裕仁親王が即位して昭和への改元が行われます。
幣原協調外交による中国不干渉!
若槻内閣の特徴の一つが、幣原喜重郎外相による協調外交です。具体的な例を見てみましょう。
1927年、中国では孫文の後継者である国民革命軍の蔣介石が、内戦の混乱の中にあった中国を統一するべく軍を起こします。これを北伐といいます。
国内には、中国在留民の保護などを名目に兵を出し、権益を拡大しようという意見もありましたが、幣原はこれを拒否し、内政不干渉を貫きます。
ただ、こうした若槻内閣の姿勢は、軟弱外交として国内に不満の種を残すもので、後に内閣が倒れる原因になるのでした。
今回から、時代は昭和に入っていきます。まずは、第1次若槻礼次郎内閣の動きから見ていきましょう。