5分でわかる!浜口雄幸内閣 (井上財政)
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この動画の要点まとめ
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井上財政による「金解禁」断行!
田中義一内閣の総辞職により、浜口雄幸内閣が発足します。この内閣は、憲政会の流れを汲む立憲民政党の内閣です。
浜口雄幸内閣で注目すべきは、井上準之助蔵相による経済政策です。
中でも目玉は、1930年1月の、金(輸出)解禁の断行です。
1917年に、日本が金輸出を禁止した事を覚えているでしょうか。金輸出の禁止とは、すなわり金本位制から離脱する事です。
これは、第一次世界大戦の最中、ヨーロッパ各国が金本位制を止めた事に合わせた対応でした。
大戦が終わって、再びヨーロッパが金本位制に戻る中で、日本もまた金本位制に復帰する事を決めたのが、この金解禁でした。
金本位制に復帰すれば、金を軸として通貨の相場が固定されるため、貿易する上での利点があったのです。
しかし、折しも1929年の終わりから、アメリカに端を発する世界恐慌が始まっていました。
このタイミングで金解禁を行った日本ですが、世界恐慌のあおりを受けて、大不況に巻き込まれていくことになります。
緊縮財政と産業の合理化を推進!
その他、井上財政の特徴としては、緊縮財政が挙げられます。
田中義一内閣の時に、金融恐慌の対策として緊急で紙幣を発行し、貸し出しを行った事は既に勉強しましたね。
これにより日本経済はインフレを起こしていたため、浜口内閣では歳出削減を行い、その収束に努めました。
ただし、これはデフレ政策で、経済の動きが鈍くなるわけですから、やはり不況を招くことになります。
また、1931年には重要産業統制法を制定し、カルテルなど企業同士の連携を助長したり、企業の合併を推奨したりしました。
産業を合理化し無駄を無くす事、そして外国企業との競争力をつける事などが狙いでした。
大不況「昭和恐慌」に突入!
以上のような経済政策を進めた浜口内閣ですが、結果的に世界恐慌の影響を著しく受け、昭和恐慌に陥ることになります。
この昭和恐慌で特におさえるべきは、生糸の輸出が激減したことです。
生糸は日本の主力の輸出品でしたね。そして、それは主にアメリカに向けて輸出されていました。
今回、世界恐慌はアメリカが発端であり、特にアメリカでの需要が冷え込んだことで、生糸の輸出が大打撃を被ったのです。
こうして昭和恐慌は深刻化し、中小企業の破綻、農家の没落が相次ぐ、大不況となっていきました。
続いて、浜口雄幸内閣について見ていきましょう。