高校日本史B
5分でわかる!浜口雄幸内閣 (外交・内政)
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
浜口雄幸内閣(外交・内政)
これでわかる!
ポイントの解説授業
軍の一部が猛反発!「ロンドン海軍軍縮条約」
浜口雄幸内閣の外交から見ていきましょう。
1930年、ロンドン会議が開かれ、全権として若槻礼次郎が出席します。
ここで結ばれたのが、ロンドン海軍軍縮条約です。
これは、ワシントン海軍軍縮条約で主力艦が制限されたのに続いて、補助艦の保有率を制限するものでした。
日本はアメリカ・イギリスに対して、補助艦の保有率を約7割に制限されることになります。
海軍の一部はこれに猛反発し、軍の承諾なく条約を結んだとして内閣を攻撃しました。
これを、統帥権干犯問題といいます。
浜口首相狙撃により内閣総辞職へ!
こうして、内閣が軍部などの反感を買う中で、1931年、軍部によるクーデター未遂事件が起こります。
これを三月事件といいます。
クーデターは未遂に終わりましたが、同年、浜口は東京駅で右翼に狙撃され重傷を負ってしまします。
これがもとで、浜口内閣は総辞職することになったのでした。
今回は、ロンドン海軍軍縮条約から満州事変に至るまでを見ていきます。
まずは、浜口雄幸内閣の外交や内政から確認していきましょう。