高校日本史B
5分でわかる!犬養毅内閣 (外交・内政)
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この動画の要点まとめ
ポイント
犬養毅内閣(外交・内政)
これでわかる!
ポイントの解説授業
政財界の要人暗殺!「血盟団事件」
立憲民政党の第2次若槻内閣が倒れ、立憲政友会の犬養毅内閣が発足します。
満州事変は収束することなく、そのまま継続しています。
まずは国内の出来事を見ておきましょう。
1932年、血盟団事件が起こります。井上日召を中心とする右翼団体の血盟団が、政財界の要人を襲った暗殺事件です。
これにより、前蔵相の井上準之助や、三井合名会社の理事であった団琢磨が殺害されました。
関東軍の傀儡国家!?「満州国建国」
続いて、中国での動きを見てみましょう。
満州事変の続く中、1932年、関東軍などの主導で満州国建国宣言が行われ、清朝最後の皇帝(宣統帝)であった溥儀が、その執政に就任します。
元々、清は満州にいた満州族(女真族)が建てた国でした。
そこで、日本としては、清の皇帝であった溥儀を立て、改めて満州族のための国家を建設することで、一連の戦闘行為が日本の侵略ではない事をアピールする狙いがありました。
しかし、実際には満州国は関東軍の強い影響下にあり、傀儡(かいらい)国家としての特徴を色濃く持ちました。
中国にとっては、こうした関東軍の動きは看過できるものではなく、国際連盟に訴え出ます。
1932年、国際連盟はイギリス人のリットンを団長とするリットン調査団を派遣し、実態の調査に乗り出しました。
憲政の常道の終焉!「五・一五事件」!
国外での混乱が続く中、1932年5月15日、犬養毅首相が海軍の青年将校によって暗殺される、五・一五事件が発生します。
犬養の死後、次の首相には海軍大将の斎藤実が就任し、加藤高明内閣から続いていた、政党内閣が政権を運営する 「憲政の常道」 は、ついに終わりを告げることになりました。
続いて、犬養毅内閣について見ていきましょう。