高校日本史B
5分でわかる!斎藤実内閣
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この動画の要点まとめ
ポイント
斎藤実内閣
これでわかる!
ポイントの解説授業
「憲政の常道」が終わり「挙国一致内閣」へ!
五・一五事件で犬養毅が暗殺された後、海軍出身の斎藤実が組閣します。
これにより、政党内閣が続く「憲政の常道」は終わりを告げ、これより先の内閣は「挙国一致内閣」と呼ばれます。
日本の行為を侵略と認定!「リットン報告書」
1932年、斎藤実内閣は、日満議定書を締結し、満州国を承認します。
満州国が建国されたのは犬養内閣の時でしたが、犬養内閣はこれを国家として承認していなかったのですね。
同じく1932年、リットン調査団によるリットン報告書が公表されました。
報告書の内容は、満州における日本の行為を、侵略だと認定するものでした。
満州国の不承認案採択、そして国連脱退へ!
翌1933年、ジュネーブで国連総会が開かれ、満州国不承認案の採択が行われました。
この不承認案については、ほぼ全ての国が賛成し、反対したのは日本のみでした。
この結果を受けて、全権であった松岡洋右は退席し、日本は国際連盟からの脱退を通告するに至ります。
こうして、日本は国際社会からの孤立を深めていくことになるのでした。
また、同じく1933年、塘沽停戦協定が結ばれたこともおさえておきましょう。
これは満州事変の停戦協定で、1931年の柳条湖事件より続いていた満州事変は、ここで一応の終結を見ます。
続いて、斎藤実内閣について、主に満州に関わる部分を見ていきましょう。