5分でわかる!東条英機内閣
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この動画の要点まとめ
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ついに対米開戦へ!「太平洋戦争」勃発!
東条英機内閣の発足後、1941年の11月末から12月にかけて、僅かな期間で事態が展開していきます。
1941年11月26日、戦争回避のための直接交渉を行っていたアメリカ国務長官のハルから、ハル・ノートが提示されました。
そこで出された戦争回避の条件は、日本軍の中国からの撤兵・三国同盟の廃棄・そして領土関係について満州事変以前の状態に戻す事でした。
これは、日本にとって、到底受け入れられるものではありませんでした。
12月1日、天皇臨席の御前会議で対米開戦が決定されます。
12月8日、日本はアメリカ領であったハワイの真珠湾を攻撃するとともに、イギリス領のマレー半島に上陸し、これより、(アジア・)太平洋戦争に突入することになります。
また、日中戦争も終わったわけではなく、泥沼化したまま太平洋戦争と同時並行的に戦闘が続いていくという点もおさえておきましょう。
壊滅的敗北で劣勢へ!「ミッドウェー海戦」!
日本は、開戦直後から、かなり広い範囲にその勢力を広げ、占領していきます。
これには、石油が欠乏する懸念から、短期決戦をしてしまいたいという思惑がありました。
しかし、開戦から半年後の1942年6月、日本は太平洋中部で起きたミッドウェー海戦で壊滅的打撃を受けます。
これ以降、日本は敗北を重ね続けていくことになります。
日独の敗戦を前提とした 「カイロ会談」!
その後も戦争は続きますが、日本にとって戦局は良くありませんでした。
1943年の9月には、三国軍事同盟の一角であるイタリアが降伏します。
アメリカをはじめとする連合国側の勝利も時間の問題となったところで、1943年11月、F.ルーズベルト(アメリカ)、チャーチル(イギリス)、蔣介石(中国)の三者による、カイロ会談が開かれました。
そこで、日本が無条件降伏するまで戦争を継続するというカイロ宣言が行われます。
一方、同じく1943年11月、日本では大東亜会議が開かれます。
これは、占領地域の代表者を集め、大東亜共栄圏建設のために結束強化を確認・宣言したものです。
今回は、昭和戦前の最後の講義ですね。太平洋戦争を中心に見ていきます。
まずは、東条英機内閣から確認していきましょう。