高校日本史B
5分でわかる!鈴木貫太郎内閣
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この動画の要点まとめ
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鈴木貫太郎内閣府
これでわかる!
ポイントの解説授業
日本の無条件降伏を要求!「ポツダム宣言」
1945年、日本の敗戦が決定的となる中、小磯国昭内閣が退陣し、鈴木貫太郎内閣が発足します。
二・二六事件で重傷を負った鈴木貫太郎ですね。
1945年5月、ドイツが降伏し、日本は一層追い詰められます。
そして7月、そのドイツでポツダム会談が開かれます。
参加者はトルーマン(アメリカ)、チャーチル、後にアトリー(イギリス)、スターリン(ソ連)です。
イギリスは、会談中にチャーチルからアトリーへと首相が交代しています。
この会談で、日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言が発表されました。
鈴木内閣は、これを黙殺します。もっとも、実態としては、国の方針をまとめる事ができなかったというのが正しいようです。
「原子爆弾」「ソ連参戦」そして終戦へ
日本がポツダム宣言に対応できないままでいる中、8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾が投下されます。
また、その間の8月8日には、日ソ中立条約を破棄して、ソ連が連合国側で参戦・侵攻を始めました。
こうした状況で完全に追い込まれた日本は、8月14日、御前会議でポツダム宣言受諾を決定します。
そして、翌8月15日、玉音放送で国民に敗戦が知らされ、鈴木内閣は総辞職となり、ついに日本は終戦を迎えることになりました。
それでは、鈴木貫太郎内閣の時代を見ていきましょう。いよいよ、終戦に至る部分ですね。