高校日本史B
5分でわかる!東久邇宮稔彦内閣
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この動画の要点まとめ
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東久邇宮稔彦内閣
これでわかる!
ポイントの解説授業
日本はアメリカ軍単独の「間接統治」に!
戦後最初の内閣は、東久邇宮稔彦内閣です。皇族である東久邇宮稔彦による、ピンチヒッター的な内閣でした。
1945年9月2日、日本はミズーリ号という船で、降伏文書に調印します。
そして、日本は非軍事化・民主化を目的に、アメリカ軍単独の間接統治下に置かれることになりました。
以下、統治の仕組みを確認しましょう。
まず、日本についての政策決定は、ワシントンにある極東委員会でなされることになりました。
この委員会は、11ヵ国の代表によって構成されていました。
極東委員会で決定された政策は、アメリカ政府を通じて、東京にある 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ) へと伝わります。GHQの最高司令官は、マッカーサーでした。
GHQは、政策について、東京にある米英中ソの代表からなる対日理事会に諮問し、その上で日本政府に指令を出すことになっていました。
但し、実態としては、対日理事会は形式的なものに過ぎず、諮問機関としての機能を果たせてはいませんでした。
以上のように、日本の統治は、GHQが直接日本国民に命令を下すのではなく、日本政府を通じて指示を出す形をとる、間接統治だったという点をおさえておきましょう。
今回から、現代の学習に入ります。
一般的には、太平洋戦争までを近代、それ以降を現代といいます。