高校日本史B
5分でわかる!片山哲内閣・芦田均内閣
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この動画の要点まとめ
ポイント
片山哲内閣・芦田均内閣
これでわかる!
ポイントの解説授業
不徹底に終わった「過度経済力集中排除法」
労働運動が激しくなる中、総選挙で社会党が第一党となり、初の社会党中心の内閣が発足します。
これは、社会党・民主党・国民協同党による連立内閣であり、まずは社会党の片山哲が、続いて民主党の芦田均が内閣を組織します。
片山哲内閣でおさえたいのは、1947年、過度経済力集中排除法の制定です。財閥解体の講義でも少し触れましたね。
この法律の狙いは、独占的な大企業を分割し、自由競争を促進することでした。
しかし、当初のGHQの目論見よりも分割される企業は少なく、また、財閥の中心的存在である銀行も解体されず、これは不徹底に終わりました。
公務員のストライキ禁止!「政令201号」
続く芦田均内閣では、1948年、政令201号が公布されます。
これは、二・一ゼネスト計画(公務員も含まれた大規模なストライキ計画)があった事などを背景に、GHQの要求で、公務員のストライキを禁止したものです。
これを受けて、国家公務員法などの改正も行われました。
以上のように、片山内閣、芦田内閣と続いた連立内閣ですが、芦田内閣が倒れた後は、再び吉田茂による自由党内閣が組織されることになります。
今回は、戦後の国際関係などを中心に確認していきます。
まずは、片山哲内閣と芦田均内閣について見ていきましょう。