5分でわかる!占領政策の転換
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この動画の要点まとめ
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冷戦により日本の占領政策は転換へ!
資本主義諸国と社会主義諸国による冷戦が始まる中、アメリカによる日本の占領政策は転換期を迎えます。
1948年、アメリカ陸軍長官ロイヤルは「日本を反共の防壁に」と演説します。
これはどういうことでしょうか。当時の東アジアの情勢から、アメリカの思惑を読み取っていきましょう。
朝鮮は分断国家として独立へ!
まずは朝鮮です。
日本の敗戦後、朝鮮はアメリカとソ連によって統治されます。
そして、1948年、北緯38度線を境に、分断国家として独立することになります。
南側には、李承晩を大統領とする大韓民国が、北側には、金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国が建てられます。
大韓民国はアメリカに近しい資本主義の国家で、朝鮮民主主義人民共和国はソ連の支援を受けた社会主義の国家です。
中国は国民党、共産党の内戦へ!
中国では、日本の敗戦後、再び国民党と共産党による内戦が始まります。
そして、1949年、内戦に勝利した共産党により、中華人民共和国が成立します。
敗れた国民党は、台湾へ逃れて中華民国を存続させることになりました。
(もっとも、中華人民共和国は、台湾を自国の一部であると主張します。)
以上のように、東アジアにおいて、朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国という、社会主義・共産主義の国家が成立したわけです。
これは、冷戦構造から考えたとき、アメリカにとって大きな脅威でした。
東アジアで社会主義の勢力が伸長する事を防ぎたいアメリカにとって、日本の扱いは極めて重要でした。
これが、「日本を反共の防壁に」という言葉の真意です。
例えば、アメリカは当初、労働運動などを広く認めさせようとしていましたが、これは社会主義とつながる面が大きいことから、抑制する方向へと転換したわけです。二・一ゼネスト計画の中止などが良い例ですね。
また、アメリカは、こうした冷戦構造に対応するために、日本にある程度の軍事力を持たせることも必要だと考えるようになります。
こうして、民主化・非軍事化を掲げた占領政策は大きな転換を迎えました。これは当初の理念からの逆行であるという意味で、逆コースと呼ばれることになります。
続いて、冷戦構造が東アジアに与えた影響や、それに伴う日本の占領政策の転換について見ていきましょう。