高校日本史B
5分でわかる!吉田茂内閣②③ (1948~49年)
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この動画の要点まとめ
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吉田茂内閣②③(1948~49年)
これでわかる!
ポイントの解説授業
東京裁判に判決が下される!
1948年、極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判に判決が下されます。
東条英機、広田弘毅らA級戦犯7名が死刑判決を受けました。
経済の立て直しへ!「経済安定九原則」!
1948年、経済安定九原則というGHQからの指令が出されます。
内容は予算均衡・徴税強化・賃金安定といったもので、インフレに見舞われていた日本の経済の立て直しを図るものでした。
アメリカはこの後、朝鮮の分断と対立といった問題に対応する必要があり、日本の自立を促したいという思惑がありました。
日本経済の立て直しが求められる中で、1949年、デトロイト銀行の頭取であるドッジによる、ドッジ=ラインという経済政策が行われます。
これにより、1ドル=360円という単一為替レートが設定されました。
大国アメリカの通貨と固定相場で結びつけることで、日本円の価値の安定、そして物価の安定が図られたわけです。
また、ドッジ=ラインではインフレ抑制のために予算均衡が目指され、デフレ政策が推し進めらます。
このデフレ政策の一環として、国鉄などでも人員削減が行われました。
そうした中で、国鉄の総裁が暗殺される下山事件や、無人電車の暴走が起きた三鷹事件、列車が転覆させられた松川事件など、国鉄に絡む怪事件も発生しました。
また、同じく1949年、コロンビア大学の教授シャウプによる、シャウプ勧告が行われます。
これは、税制の改革に関するもので、所得税中心主義が提案されました。
今回は、戦後の政治について、独立の少し前のところまでを確認します。
まずは、第2次・第3次吉田茂内閣の時代を見ていきましょう。