5分でわかる!佐藤栄作内閣 (沖縄返還・ドル危機)
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この動画の要点まとめ
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小笠原・沖縄返還へ!
敗戦後、日本がアメリカ軍の間接統治下に入っていたことは既に学習しましたね。
しかし、沖縄・小笠原諸島・奄美諸島については直接統治されており、サンフランシスコ平和条約の締結後も日本に返還されていませんでした。
(奄美諸島については、1953年に返還されました。)
1968年、小笠原返還協定の調印が行われ、小笠原諸島が日本に復帰します。
1969年には、沖縄返還に向けて佐藤・ニクソン会談が行われ、日米共同声明が発表されました。
これにより、「核抜き」、つまり日本に核兵器を置かないという条件での沖縄返還が合意されました。
そして、1971年に沖縄返還協定が調印され、翌1972年に、ついに沖縄は日本に返還されることになりました。
アメリカの政策転換「ニクソン=ショック」!
1971年、アメリカのニクソン大統領は、外交と経済における政策の大転換を発表します。
これを、ニクソン=ショックと呼び、その背景にはベトナム戦争によるアメリカの苦境がありました。
以下、内容を確認しましょう。
まずは、中国訪問計画の発表です。
ベトナム戦争は、ベトナムに資本主義国家を築きたかったアメリカの思惑通りにいかず、アメリカは撤退を決めました。
その事後処理の関係上、アメリカはベトナム戦争で激しく対立していた中国との関係を改善する必要があり、中国訪問計画を発表したわけです。
翌年にはニクソンの訪中が実現し、米中国交正常化へとつながっていきます。
もう一つは、金・ドルの交換停止です。
単純化して解説すると、当時、アメリカのドルは金と交換することができる安定した通貨でした。
そして、多くの国が、ドルと結びつくことで自国の通貨の安定を保っていました。例えば、日本は1ドル=360円という固定相場となっていましたね。
しかし、ベトナム戦争でアメリカが借金を行い、多額の戦費を費やした結果、ドルの価値が低下しました。
結果、それまで通りに金とドルを結びつけておけなくなったアメリカの結論が、金・ドルの交換停止だったのです。
「円切り上げ」で高度経済成長終焉へ!
ドルの価値が低下した結果、1ドル=360円という固定相場制も見直す必要が出てきます。
1971年、ドル安・円高の実情に合わせる形で、「円切り上げ」が行われ、1ドル=308円に見直されることになりました。
基本的に、円高になれば輸出は減少します。
ニクソン=ショックと円切り上げという経済の流れは、日本の高度経済成長の終焉へとつながることになります。
引き続き、佐藤栄作内閣について見ていきましょう。