高校日本史B
5分でわかる!平成の諸内閣 (宮沢・細川・羽田)
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
平成の諸内閣(宮沢・細川・羽田)
これでわかる!
ポイントの解説授業
自衛隊の海外派遣へ!「PKO協力法」
バブル崩壊後、平成不況と呼ばれる不況の中で、宮沢喜一内閣が発足します。
1992年、宮沢内閣のもとで、PKO協力法(国連平和維持活動協力法)が成立します。
これにより、国連に協力するために自衛隊がカンボジアに派遣されることになりました。
日本の防衛のために置かれた自衛隊の海外派遣の是非については、国内外で大きな論争となりました。
自民党分裂!「55年体制崩壊」へ!
1993年、宮沢首相に反発する勢力により自民党は分裂し、総選挙で自民党が過半数割れを起こすという事態が起きます。
それでも、第一党は自民党だったのですが、ここで、なんと非自民系の8党派が手を組み、過半数の議席を握るという手に出ます。
こうして、国民人気の高かった日本新党の細川護熙が首相に就任し、非自民8党派の連立内閣が発足します。
1955年から40年近く続いていた、自民党が過半数の議席を得て政権を担うという政治体制、いわゆる55年体制が、この時崩壊したのでした。
もっとも、この細川護熙内閣、そして続く羽田孜内閣は、短命政権に終わってしまうことになります。
続いて、宮沢喜一内閣、細川護熙内閣、羽田孜内閣の時代を見ていきましょう。