高校日本史B
5分でわかる!天台宗
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この動画の要点まとめ
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天台宗
これでわかる!
ポイントの解説授業
最澄の開いた天台宗は、円仁・円珍が成熟させ、その後分裂
天台宗 を創始した 最澄 (さいちょう)は、今の滋賀県に 比叡山延暦寺 (ひえいざんえんりゃくじ)を開きました。
『顕戒論』(けんかいろん)を著し、今までの仏教である顕教を攻撃します。
具体的には、南都、つまり奈良のお寺である東大寺や興福寺を批判していたようです。
最澄は、唐から短期間で帰国したため、その密教は完全なものではありませんでした。
そこで、最澄の弟子の 円仁 (えんにん)・ 円珍 (えんちん)が唐に渡って学ぶことで、天台宗は密教としてさらに成熟することになりました。
しかし、円仁・円珍の弟子の代になると天台宗は分裂し、円珍派が延暦寺を出て 園城寺 (三井寺)を開きます。
円仁派は山門派(さんもんは)、円珍派は寺門派(じもんは)とも呼ばれました。
天台宗の流れをまとめると、以下の3段階に分けられる、と覚えておきましょう。
① 最澄が比叡山延暦寺で天台宗を開いた 段階
② 円仁・円珍によって、密教として成熟した 段階
③ 円仁・円珍の弟子たちによって分裂した 段階
3つ目のポイントでは、 天台宗 について詳しく見ていきましょう。