高校日本史B
5分で解ける!国風文化3(第2問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
一緒に解いてみよう
国風文化1・2の確認テスト【一問一答問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題2(1)
浄土教が信仰されるようになったきっかけの一つに、 釈迦の死後、年月が経ったことで正しい教えが失われる という思想の流行がありました。
この思想を 末法思想 (まっぽうしそう)といいます。
この世はひどい世の中(末法、1052年から)になってしまう。だから来世に救いを求めよう、というのが、浄土教の基本的な考え方でしたね。
浄土教の普及のために、往生するための方法を説いた『 往生要集 』を著したのは 源信 (げんしん)です。
『往生要集』は、「どうやったら往生して、阿弥陀様のいる極楽浄土のにいけるか」ということを記した本です。
問題2(2)
定朝(じょうちょう)は、従来の 一木造 (いちぼくづくり)に代わって、複数の木材を組み合わせる 寄木造 (よせぎづくり)という手法を完成させました。
この寄木造の手法によって、大型の仏像を作ることができるようになりました。
定朝は、実際にこの手法を用いて 平等院鳳凰堂阿弥陀如来像 (びょうどういんほうおうどうあみだにょらいぞう)を制作しました。
①の 観心寺如意輪観音像 (かんしんじにょいりんかんのんぞう)は、前の弘仁・貞観文化の時に作られた一木造の仏像なので誤り。
③の 六波羅蜜寺空也上人像 (ろくはらみつじくうやしょうにんぞう)は、空也という人物自体は国風文化で浄土教を広めた人物ですが、この像が作られたのは、少し後の鎌倉文化なのでこれも誤りです。
問題2(3)
弘仁・貞観文化の 唐風の書家である三筆 に対し、国風文化では 和風の書の名手である三蹟 (さんせき)がいました。
三蹟は、 小野道風 、 藤原行成 、 藤原佐理 の三人ですから、三蹟ではない人物の答えは、①の菅原道真です。
次は一問一答です。