高校日本史B
5分でわかる!朱子学(京学)
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
朱子学(京学)
これでわかる!
ポイントの解説授業
林羅山が創始した「林家」が活躍!
江戸時代の朱子学において、特に重要な人物が、林羅山とその一族(林家)です。
羅山は師匠の藤原惺窩に推薦される形で徳川家康に仕え、家康から家綱までの4代に渡って朱子学の指導を務めました。
羅山は、武家諸法度寛永令の起草にも携わり、1630年には林家の家塾として、上野忍ヶ岡に弘文館を開設しました。
また、羅山は、息子の林鵞峰と共に、 『本朝通鑑』 という歴史書を編集しています。
羅山の孫、林信篤(別名・林鳳岡)は、5代将軍・徳川綱吉に任じられ、聖堂学問所の大学頭(だいがくのかみ)となりました。
聖堂学問所は、綱吉が建てた湯島聖堂の側に林家の家塾・弘文館を移させ、学問所として整備したものです。
このように、林羅山を祖とする林家の人々によって、朱子学は政治に大きく関わっていくことになります。
ちなみに、藤原惺窩を祖とし、林家が広めたこの朱子学の学派は、京学と呼ばれることがあります。
幕政の中枢を担うに至った新井白石!
木下順庵は、加賀藩(今の石川県)の前田綱紀に招かれ、後に徳川綱吉に仕えます。
木下順庵の弟子である新井白石は、6代将軍の徳川家宣の下で幕政に携わり、正徳の治を行いました。
新井白石は著作も残しました。
主なものとしては、歴史について論じた 『読史余論』 、自伝の 『折たく柴の記』 (おりたくしばのき)、日本書紀の解釈書である 『古史通』 があります。
新井白石と同じく木下順庵に学んだ室鳩巣は、8代将軍の徳川吉宗に使えました。
貝原益軒は、本草学という薬学の学者としても活躍した人物で、動画「江戸時代の学問11」で改めて触れることとします。
このように、朱子学者には政治に関わった人々が多く含まれます。
政治史と文化史の絡みで、出題されやすいポイントでもありますね。
では、朱子学の学者について見ていきましょう。