高校日本史B
5分でわかる!幕府の教育政策
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この動画の要点まとめ
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幕府の教育政策
これでわかる!
ポイントの解説授業
幕府による教育の中心「聖堂学問所」!
幕府の教育政策の柱となるのは、1690年に設立された聖堂学問所です。
聖堂学問所は、5代将軍・徳川綱吉が、林家の私塾・弘文館を湯島に移して整備させたものです。
聖堂学問所のトップである大学頭(だいがくのかみ)には、林信篤が任ぜられました。
この大学頭は、林家の世襲によって引き継がれていくことになります。
朱子学以外の教授を禁止!「寛政異学の禁」
聖堂学問所の整備から100年後の1790年、寛政の改革の一環としって、寛政異学の禁が出されます。
これは、儒学のうち朱子学を正学として唯一公認し、その他を異学として聖堂学問所で教授する事を禁じたものです。
異学とされた学派は、具体的には陽明学や古学などですね。
寛政異学の禁は、柴野栗山によって建議されたものです。
あくまで聖堂学問所のみに適用された規制ですが、幕府御用達の聖堂学問所におけるこの対応は、全国に大きな影響を及ぼしました。
また、寛政異学の禁の7年後の1797年には、林家の私塾であった聖堂学問所が、昌平坂学問所として名を変え、幕府直轄の学問所とされました。
柴野栗山を中心とした「寛政の三博士」!
寛政異学の禁や、昌平坂学問所の成立などに携わった儒学者の中で、特に活躍した3人を寛政の三博士と呼びます。
その中心は柴野栗山で、他に尾藤二洲や岡田寒泉がいました。
岡田寒泉は、後に古賀精里に代わることになります。
今回から、儒学を中心とした江戸時代の教育について見ていくことにしましょう。
これは、大きく分けて幕府の教育、藩での教育、民間の教育の3つあります。
まずは、幕府の教育政策について見ていきましょう。