5分でわかる!化政期の国学(詳細)
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この動画の要点まとめ
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国学の学校創設を進言!「荷田春満」
四大人の最初の1人は荷田春満(かだのあずままろ)です。
荷田春満は京都の神官で、 『創学校啓』 を著して国学の学校創設を徳川吉宗に進言しましたが、これは実現しませんでした。
徳川吉宗は8代将軍で、江戸時代の中頃の将軍ですね。
この事から、江戸時代の前半に儒学が発展したのに対し、国学の研究は江戸時代の中盤以降に進んでいくというイメージを持っておくとよいでしょう。
復古思想を主張!「賀茂真淵」
2人目は賀茂真淵です。
徳川吉宗の子から始まる田安家に仕えた賀茂真淵は、万葉集の研究書である 『万葉考』 や、古道を追究した 『国意考』 を著しました。
賀茂真淵はここで、中国から仏教や儒教が伝わってくる前の、日本古来の考え方に立ち返ろうとする復古思想を主張しました。
国学の大成者!「本居宣長」
3人目は本居宣長です。
本居宣長は伊勢(三重県)松坂の医者で、国学の大成者と言える人物です。
本居宣長は、古事記の注釈書である 『古事記伝』 や、源氏物語の注釈書である 『玉小櫛』 、随想集の『玉勝間』といった著作を残します。
本居宣長の私塾である鈴屋についてもおさえておくとよいでしょう。
復古神道を大成!「平田篤胤」
四大人の最後の1人は、平田篤胤です。
平田篤胤は、本居宣長の死後に弟子という立場をとった人物です。
平田篤胤は、本居宣長の主張していた神道論を発展させ、復古神道を大成します。
復古神道は、日本古来の天皇支配をあるべき状態だと考えます。
一方で、以前の講義で、朱子学の大義名分論も、突き詰めれば天皇を敬うべきだという考え方になるという話をしましたね。
つまり、研究が進むに連れ、国学・儒学ともに、天皇崇拝と、幕府批判の風潮を生み、これが幕末の尊王攘夷運動・倒幕運動の背中を押すことになるのでした。
盲目の国学者「塙保己一」
最後に、四大人以外の学者として、塙保己一に触れておきましょう。
塙保己一は、賀茂真淵の弟子であり、盲目の国学者です。
塙保己一は盲目でありながら、弟子とともに国書を分類した 『群書類従』 を著しました。
また、幕府の許可を受けて和学講談所を設立し、林家の支配の下で国史講習や史料編纂に従事しました。
では、四大人を中心とする学者の業績を見ていきましょう。