中学歴史
5分でわかる!冠位十二階と憲法十七条
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この動画の要点まとめ
ポイント
改革者 聖徳太子 冠位十二階と憲法十七条
これでわかる!
ポイントの解説授業
聖徳太子はなぜ、改革を行った?
こちらを見てください。
左の絵の人物が 聖徳太子 です。
様々な改革を行った人物として有名で、日本の一万円札に彼の肖像画が使われていたこともあります。
なぜ聖徳太子は様々な改革を行ったのでしょう?
それは、当時の大和朝廷では豪族同士の権力争いが絶えなかったからです。
聖徳太子は 天皇に国の権力を集め、天皇を中心に国をまとめるべきだ と考えたのです。
593年に、聖徳太子は 推古天皇 の 摂政 になりました。
推古天皇は女性でしたが、当時は政治は男性がやるものだと考えられていたため、天皇のサポート役として摂政という役割が設けられたのです。
摂政となった聖徳太子は、 蘇我馬子 という有力な豪族とも協力し、天皇中心の中央集権国家を目指しました。
役人をおさめるための冠位十二階と十七条の憲法
では、聖徳太子は具体的にどのような改革を行ったのでしょう?
まず、603年に、役人の位を個人の能力によって十二段階に分ける 冠位十二階 の制度を設けました。
家柄に関係なく優秀な人物が出世できるようになったので、とても画期的な制度と言えます。
604年には 十七条の憲法 を定めました。これは役人に対する心がまえを示したもので、以下の3つの決まりが特に重要とされました。
1つ目は、「和をもって貴しとなす」、つまり みんなで協力しましょう という決まりです。
2つ目は、「三宝を厚く敬え」、つまり 仏教、経典、僧侶 の3つを敬いなさいという決まりです。
特に、 仏教を大事にする ことが重要視されました。
3つ目は、 天皇の命令には従いなさい という決まりです。
聖徳太子は天皇中心の国づくりを目指したのですね。
聖徳太子の改革、内容をしっかりおさえておきましょう。
飛鳥時代1のポイント1は、「聖徳太子の改革」です。
飛鳥時代という名前は、政治の中心地が奈良県の「飛鳥」地方であったことに由来しています。
今回は、 聖徳太子 という人物について勉強していきましょう。