中学歴史
5分でわかる!聖徳太子、小野妹子を隋へ派遣
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この動画の要点まとめ
ポイント
予言者 聖徳太子 隋の皇帝を怒らせる
これでわかる!
ポイントの解説授業
「予言者」聖徳太子というタイトルですが、いったい何を予言したのでしょうか?
その答えに迫るため、聖徳太子の外交について見ていきましょう。
隋の皇帝を怒らせた!
これは、聖徳太子が活躍した頃の東アジアの地図です。
国内改革を行った聖徳太子は、607年、 小野妹子 らを中国の隋に派遣しました。「隋に使いを派遣」したので、これを 遣隋使 といいます。
小野妹子たちは、聖徳太子の書いた手紙を中国まで届けましたが、皇帝を怒らせてしまいました。なぜでしょうか?
手紙には、「日が昇る国の天皇が、日が沈む国の皇帝に手紙を差し上げます。お元気ですか。」と書いてありました。皇帝は、この手紙を「日が昇る国(=日本)」はこれから発展していくのに対して、「日が沈む国(=隋)」はこれから没落していくという風に読み取ったのです。
しかし、当時隋は朝鮮の高句麗と戦争中だったため、皇帝は怒りをこらえ、日本を敵に回すことはしませんでした。
聖徳太子の予言が的中?
なぜ、聖徳太子は強大な中国に向かってこんな手紙を送ったのでしょうか。その理由は、 中国と対等の関係を結ぼうとした からであるとされています。
聖徳太子からの手紙の内容に怒った皇帝でしたが、実際に隋はこの手紙をもらった十数年後に滅んでしまいました。
正に聖徳太子の手紙のとおりになったのです。
聖徳太子の予言が的中した!と言えるのかもしれませんね。
飛鳥時代1のポイント2は、「聖徳太子の外交」です。