中学歴史
5分でわかる!白村江の戦い
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この動画の要点まとめ
ポイント
白村江の戦いの敗戦 天智天皇、国内の整備に努める
これでわかる!
ポイントの解説授業
友好国 加羅・百済の滅亡に焦った日本
こちらの地図を見てください。
7世紀中ごろの朝鮮半島の様子が描かれています。
なんと660年に、日本の友好国であった百済が、新羅に滅ぼされたのです。
ちなみに、日本と仲が良かったもう一つの国である加羅は、6世紀中ごろに滅んでいます。
つまり、 朝鮮半島の日本の友好国が2つとも滅んでしまった のです。
朝鮮半島での影響力を失いたくない日本は、「百済を助ける」という建前で、新羅を倒すために兵を送りました。
白村江の戦い 日本vs唐・新羅
しかし、新羅は中国の 唐と同盟を結んでいた のです。
663年、日本と、新羅・唐連合軍が、地図上の「百済」という字が書いてある場所の上あたりで激突しました。
これを 白村江(はくすきのえ)の戦い といいます。
結果は日本の大敗でした。
敗戦をきっかけに、中大兄皇子は国外進出をあきらめ、 国内の整備に努める ようになります。
現在の福岡県大宰府市を中心に九州北部の防御を固めたり、都をより守りやすい琵琶湖の方に移すよう命じたりしました。
その後、中大兄皇子は即位して 天智天皇 となります。
白村江の戦いに大敗したことで、 日本の政治が大きく方向転換した ことをおさえておきましょう。
2つ目のポイントは、「白村江の戦い」です。
645年、大化の改新で蘇我氏が滅ぼされ、中大兄皇子が政治の中心人物となりました。
その後、朝鮮半島で大きな事件が起こったのです。