中学歴史
5分で解ける!承久の乱と御成敗式目の制定に関する問題
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この動画の問題と解説
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解説
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練習の解説授業
源氏の将軍が途絶え、政治の実権は北条氏が握る
第3代将軍の源実朝が甥に暗殺されると、源氏の将軍は絶えてしまいました。
これをきっかけに、幕府の実権は将軍をサポートする役職と、その役職についていた一族に移っていきます。
将軍を補佐するのが 執権 でしたね。
執権の役職は、頼朝の奥さんの一族である 北条 氏が独占していました。
後鳥羽上皇が起こした「承久の乱」
頼朝の血筋が途絶えると、武家政権を倒すチャンスだと考えた朝廷が反乱を起こします。
1221年の 承久の乱 です。
挙兵した人物は 後鳥羽上皇 でしたね。
動揺する御家人たちに対し、演説によって団結を促したのが 北条政子 でした。
承久の乱は幕府側によって鎮圧され、首謀者の後鳥羽上皇は 隠岐 に流されました。
再び朝廷が反乱を起こすことに備えて、幕府が設置した役所はなんでしたか?
朝廷や西国の御家人を監視する、 六波羅探題 でしたね。
武士による初めての法令「御成敗式目」
1232年には、当時の執権がある決まりを作ります。
決まりの名前は 御成敗式目 で、執権は 北条泰時 でしたね。
御成敗式目は、武士による武士のための決まりであり、朝廷には適用されなかったことを覚えておきましょう。
鎌倉幕府を開いた源頼朝。
彼の死後、幕府はどうなっていったのか、おさらいしましょう。