中学歴史
5分でわかる!元寇 文永の役と弘安の役

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この動画の要点まとめ
ポイント
「神風」が吹いた! 元寇に耐えた日本
これでわかる!
ポイントの解説授業
元の要求を拒んだ北条時宗

日本に興味を持ったフビライ・ハンでしたが、いきなり軍隊を送ったわけではありません。
まず日本に使者を送り、降伏して元の支配に下るよう要求しました。

当時の執権である 北条時宗 は、フビライの要求を拒否するだけでなく、元の使者を処刑してしまいました。
この行為に激怒したフビライが、日本に大軍を送ってきたわけです。ついに戦いが始まります。
文永の役と弘安の役

元軍は、合計2回、日本に攻めてきました。
こちらを見てください。

最初の戦いが、1274年に起きた 文永の役 です。
高麗 の兵を従えた元軍が博多湾に襲来しましたが、日本軍はなんとか撃退に成功しました。

文永の役の後、鎌倉幕府は北九州沿岸の守りを固めようと考えました。
石累 と呼ばれる防壁を作るなど、様々な準備をしたのです。

1281年、元軍は再び攻めて来ました。これを 弘安の役 といいます。
前回よりも多くの兵士がやってきましたが、猛烈な暴風雨に襲われ、元軍は大打撃を受けてしまいました。

こうして、日本は幸運にも助けられながら、強大な元の侵略を何とか退けることができたのです。

鎌倉時代4のポイント2は、「元軍の2度にわたる襲来」です。