中学歴史
5分でわかる!鎌倉幕府の滅亡
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この動画の要点まとめ
ポイント
借金帳消しで社会は混乱 鎌倉幕府滅亡へ
これでわかる!
ポイントの解説授業
元寇という危機を乗り切ったのに、鎌倉幕府が滅亡?いったいどういうことでしょうか?
その答えは、元寇の影響を考えることで見えてきます。
元寇の影響 幕府は「永仁の徳政令」を制定
元寇は、 自分たちの国を守るための戦い (自衛戦争)だったため、勝っても新しい土地などは手に入りませんでした。
御家人たちは、幕府のために必死に「奉公(=元軍との戦い)」を行ったのに、 対価である「御恩(=土地)」をもらえなかった のです。
御家人の生活は苦しくなり、幕府への不満が高まりました。
そこで幕府は、 御家人の借金を帳消しにしよう と、1297年に 永仁の徳政令 を制定します。
無理やり借金を帳消しにしようとしたことで、経済は混乱してしまいました。
御家人たちの不満を鎮めることはできず、幕府の支配力はおとろえていきます。
後醍醐天皇の呼びかけ 鎌倉幕府がついに滅亡
こうした状況の中、幕府を倒そうと立ち上がったのが 後醍醐天皇 です。
彼の呼びかけに応じた 足利尊氏 が京都の六波羅探題を、 新田義貞 が鎌倉を攻め落とし、
1333年、ついに鎌倉幕府は滅亡したのです。
鎌倉時代4のポイント3は、「鎌倉幕府の滅亡」です。