中学歴史
5分でわかる!王政、共和制、立憲君主制
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この動画の要点まとめ
ポイント
王政→共和制→立憲君主制 揺れ続けたイギリス
これでわかる!
ポイントの解説授業
ピューリタン革命 王政から共和制へ
イギリスでは、もともと 国王が絶対的な権力を持っていました。
これを 絶対王政 といいます。
しかし、 国王が自分勝手な政治をやりすぎた ため、次第に貴族や国民の支持を失っていきます。
そんな中、1642年に ピューリタン革命 が起こり、国王が処刑されるのです。
ピューリタン革命を指導したのは、 クロムウェル という人物です。
彼の指導の下で、1人の国王ではなく、 みんなで話し合って政治を決めていく ことになりました。
このような政治の仕組みを 共和制 といいます。
クロムウェルの独裁と名誉革命 共和制が終わる
しかし、イギリスの共和制は上手くいきませんでした。
今度はクロムウェルが強引な政治を行うようになってしまった のです。
クロムウェルが亡くなった後は再び国王が政治を行うのですが、その王様も段々自分勝手な政治をするようになってしまいました。
そこで、勝手な国王を追放しようと、もう一度革命が行われました。
1688~89年に起きたこの革命を 名誉革命 といいます。
名誉革命では、オランダから新しい国王を招き、 権利章典 という決まりを制定しました。
こちらを見てください。
権利章典を制定 立憲君主制へ
第一条と第四条を読むと、法律の制定や課税には、 議会の承認が必要 だということがわかりますね。
このように、 憲法などの法律に基づき、君主(国王)が治める政治 のことを 立憲君主制 といいます。
また、 議会の決定に基づいて行われる政治 を 議会政治 とも呼びます。
イギリスは、現代でも立憲君主制と議会政治が続いているのです。
17世紀のイギリスの政治体制が、王政→共和制→立憲君主制と変化していったことをおさえておきましょう。
近代の世界1のポイント2は、「イギリスの革命」です。
17世紀のイギリスでおきた、2つの革命について見ていきましょう。
こちらを見てください。