5分でわかる!日米修好通商条約
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この動画の要点まとめ
ポイント
井伊直弼とハリスの交渉 日米修好通商条約が結ばれる
1854年に結ばれた日米和親条約によって、日本はついに開国することになりました。
日本との貿易を望むアメリカは、アメリカ総領事の ハリス を派遣し、交渉を持ちかけました。
ハリスとの交渉には、大老の 井伊直弼 という人物が臨みました。
ハリスと井伊直弼の交渉の結果、1858年に 日米修好通商条約 が締結されました。
この条約によって、全部で5つの港が開港されることになります。
こちらを見てください。
函館・新潟・横浜・神戸・長崎 5つの港が開かれる
日米和親条約で開港されたのは 下田 と 函館 でしたね。
日米修好通商条約では下田が廃止され、 函館をいれて全部で5港の開港 が決まりました。
北から順に見ていくと、北海道の 函館 、日本海側の 新潟 、江戸に近い 横浜 、京都・大阪に近い 神戸 、九州の 長崎 の5つです。
ちなみに、当初は神戸ではなく大阪が開港される予定でした。
しかし 京都にいる天皇が大阪の開港に強く反対した ため、代わりに神戸が開港したのです。
治外法権と関税自主権
日米修好通商条約は、 日本に不利な不平等条約 でした。
不平等だったポイントは、大きく2つあります。
こちらを見てください。
1つ目は、日本がアメリカの 治外法権(領事裁判権)を認めていた 点です。
どういうことかというと、 日本で罪を犯したアメリカ人を、日本の法律で裁くことができなかった のです。
2つ目は、日本の 関税自主権がなかった 点です。
関税というのは、外国から輸入した品物にかけられる税金のことです。
つまり、日本はアメリカからの安価な輸入品をそのまま売る必要がありました。
アメリカに有利な貿易が行われたのです。
日米修好通商条約の締結によって、日本は経済的に不利な立場に追い込まれてしまいました。
条約を結んだ井伊直弼は批判されましたが、彼はアメリカとの戦争を避けるため、やむを得ず不平等な内容の条約を結んだとも考えられています。
江戸時代11のポイント2は、「日米修好通商条約の締結」です。