5分でわかる!王政復古の大号令
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この動画の要点まとめ
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徳川慶喜の「大政奉還」 朝廷に権力を返上
この人物は、江戸幕府の15代将軍徳川慶喜です。
1867年、徳川慶喜は朝廷に権力を返しました。これを 大政奉還 といいます。
大政奉還によって武士の世の中が終わり、江戸時代が終わりを迎えたのです。
江戸幕府が自分から権力を返したことは、ある人たちにとっては面白くない事態でした。
武力で幕府を倒そう と考えていた、 薩摩藩 の 西郷隆盛 や 大久保利通 、 長州藩 の 木戸孝允 たちです。
彼らは武力で幕府を倒し、そのまま自分たちが権力を持とうと考えていました。
しかし幕府が自分から権力を返したため、彼らの目論見は外れてしまったというわけです。
「王政復古の大号令」 徳川家はもう政治にかかわるな!
そこで薩摩藩や長州藩は、明治天皇の名で 「王政復古の大号令」 という宣言を出させました。
この宣言では 天皇家が政治を行う ということ、つまり 徳川家はもう政治に関わることはない というメッセージがこめられていたのです。
薩摩藩や長州藩、そして公家の 岩倉具視 という人物らが画策し、天皇の名でこのメッセージを発表しました。
「戊辰戦争」 旧幕府軍 vs 新政府軍
王政復古の大号令をうけて、旧幕府側は怒りました。
自分たちが朝廷に権力を返したとはいえ、完全に権力を奪うのはやりすぎだ!と憤慨したのです。
そこで1868年、新政府軍と旧幕府軍との間で 戊辰戦争 と呼ばれる戦いが始まりました。
結論から言うと、この戦争は翌年に 新政府軍の勝利 で幕を閉じます。
ただ、この戦いのさなかには さまざまなドラマがあった ことで知られているのです。
今回はみなさんに2つの有名なエピソードを紹介します。
勝海舟、江戸城を「無血開城」
この人物は 勝海舟 といって、薩長同盟を仲介した坂本竜馬の師匠にあたるような人物です。
西郷隆盛率いる新政府軍が江戸に近づいた際、当時江戸を守っていたのが勝海舟です。
彼は「このまま戦いになれば、江戸の多くの市民が犠牲になってしまう...」と考え、 最初から無駄な戦いはせず、江戸城を明け渡そう という判断をしたのです。
彼の判断のおかげで、江戸の街が破壊されたり、人々が犠牲になることもありませんでした。
これを「江戸城無血開城」といいます。
降伏した榎本武揚、最後まで戦った土方歳三
もう1つのエピソードは、途中で降伏した人物と、最後まで戦った人物の話です。
戊辰戦争は1869年に決着しました。
戊辰戦争の最後の戦いは、北海道の函館で行われた 五稜郭の戦い です。
劣勢だった旧幕府軍は、「最後まで戦おう!」という意見と、「あきらめて降伏しよう・・・」という意見とに分かれていました。
幕府海軍を指揮した 榎本武揚 (えのもとたけあき)という人物は、抵抗の末に降伏を選択しました。
一方、新選組の副局長であった 土方歳三 という人物は、最後まで戦い抜いた結果、戦死してしまったのです。
戊辰戦争に勝利した新政府軍は、この後実際に政治を行っていくことになります。
新政府の中心人物として、 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允 の3人をおさえておきましょう。
明治時代1のポイント1は、「王政復古の大号令」です。
まずはこちらを見てください。