5分でわかる!士農工商から四民平等へ
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この動画の要点まとめ
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江戸時代の身分制度 武士と百姓・町人、その他の差別された人々
16世紀後半、豊臣秀吉は刀狩を行い、百姓が刀などの武器を持つことを禁じました。
これにより、武器を持つ武士と、武器を持たない百姓との身分がはっきりと区別されました。
これを兵農分離といいます。
江戸時代には兵農分離がさらに進められ、武士と百姓・町人を区別する身分制度がかたまっていきました。
こちらを見てください。
幕末のころの、身分別の人口に占める割合を示したグラフです。
武士が全体の7%ほど、百姓と町人が人口の9割程度を占めています。
そして、これらの身分に組み入れられなかった一部の人々(えた・ひにんなどと呼ばれる)は差別をうけることになったのです。
江戸時代の身分制度は「士農工商」と呼ばれることもあります。
明治時代の身分制度 人口のほとんどは「平民」に
明治時代には、江戸時代の身分制度は廃止されることになります。
こちらを見てください。
この円グラフは、明治時代初頭の日本の人口を、身分ごとの割合で示したものです。
江戸時代の百姓や町人たちは、すべて平民として扱われるようになりました。
一方、かつての公家や大名は華族、武士は士族とされました。
平民とは区別されましたが、武士が持っていた特権(名字を名乗る、帯刀する)は廃止されてしまったのです。
このように、かつての「士農工商」が廃止されたことを「四民平等」と表現することもあります。
「解放令」により、差別されていた人々を平民同様に
新政府は1871年、江戸時代の被差別身分を廃止し、職業の自由などを認める、という内容の布告を出しました。
これを解放令といいます。
「えた・ひにん」などと呼ばれていた被差別階級の人々も平民と同じ扱いとしたのです。
しかし、実際には差別はなくなったわけではありませんでした。
政府が被差別身分の人たちの生活を改善する具体的な政策をとらなかったこともあり、
結婚や就職などに関する差別意識は根強く残りました。
明治政府によって、江戸時代の身分制度が解体されたことをおさえておきましょう。
明治時代1のポイント3は、「古い身分制度の廃止」です。