中学歴史
5分でわかる!大日本帝国憲法の発布
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この動画の要点まとめ
ポイント
次に憲法 伊藤博文は総理大臣をやめて大日本帝国憲法に専念
これでわかる!
ポイントの解説授業
内閣の次は 憲法 です。
こちらを見てください。
1889年 大日本帝国憲法の発布 伊藤博文らが草案を作る
伊藤博文らは、憲法のもととなるアイデア(憲法の 草案 )を考えます。
その憲法案がもととなって、1889年に 大日本帝国憲法 が発布されました。
伊藤博文は、君主の力が強い ドイツ (プロイセン)の憲法を参考に、この憲法の草案を作成しました。
いったいなぜ、ドイツの憲法を参考にしたのでしょうか?
天皇中心の国づくりを目指す政府にとって、君主の権力が強いドイツの憲法は都合が良かった
当時の政府は 天皇中心の国づくりを目指していました。
「みんな平等で、誰にでも等しい権利を認める」という憲法よりも、
「君主(国家を治める一番偉い人)の力が一番強い」という憲法のほうが、
天皇中心の国を目指す政府には お手本として適していた のです。
大日本帝国憲法では、主権は天皇にある
大日本帝国憲法では 主権は天皇にありました。
主権とは「 国のあり方を最終的に決める権利 」という意味です。
ちなみに、現在の日本の憲法は 日本国憲法 です。
日本国憲法では、主権は 国民 にあると定められています。
大日本帝国憲法は「天皇が国民に憲法を与える」というかたちで制定されました。
このような憲法を欽定憲法(きんていけんぽう)といいます。
天皇に強い権力が認められる一方、国民の人権は 法律によって制限されていました 。
天皇中心の国づくりを目指す当時の政府にとって、君主の権力が強いドイツ(プロイセン)の憲法は都合が良かったということ。
そして、大日本帝国憲法は天皇主権の憲法であることをおさえておきましょう。
明治時代6のポイント2は、「大日本帝国憲法の発布」です。
近代化を目指す明治政府は、まずは 内閣 制度を整えます。
ポイント1では 伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任した ことを学びました。