中学歴史
5分でわかる!治外法権の廃止と関税自主権の回復
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この動画の要点まとめ
ポイント
外国に認められることで、日本は条約改正を達成した
これでわかる!
ポイントの解説授業
1894年 領事裁判権(治外法権)の廃止 外務大臣は陸奥宗光
まずは1894年、イギリスとの間で日英通商航海条約が結ばれます。
この条約によって 領事裁判権(治外法権)の廃止 と、関税自主権の一部回復に成功します。
領事裁判権が撤廃(てっぱい)されたことで、日本で罪を犯した外国人を 日本の法律で裁く ことができるようになりました。
交渉に臨んだのは、外務大臣の 陸奥宗光 (むつむねみつ)です。
1911年 関税自主権の回復 外務大臣は小村寿太郎
1911年には、アメリカと交渉を行い 関税自主権を完全に回復 しました。
交渉に臨んだのは、外務大臣の 小村寿太郎 (こむらじゅたろう)です。
日本が2つの不平等条約を改正できた理由として、法律などが整備されてきたことや、いくつかの戦争に勝利し、諸外国に一目置かれる存在になっていたことなどがあげられます。
不平等条約改正について、改正を達成した順番と、交渉を行った外務大臣の名前を覚えておきましょう。
明治時代7のポイント2は、「不平等条約の改正」です。
ポイント1で、不平等条約改正の声が高まるきっかけとなった ノルマントン号事件 を紹介しました。
明治時代6の授業では、伊藤博文らが 内閣・国会・憲法 を整備したことを学びましたね。
近代国家の仕組みが整いつつある日本は、世論の後押しを受けるかたちで、1894年と1911年に 不平等条約の改正を達成します。