5分でわかる!日清戦争と下関条約
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この動画の要点まとめ
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朝鮮をめぐる争い 日本・清(中国)・ロシアがにらみ合う
19世紀の末、朝鮮の国内では「 日本のように近代化の政策を進めよう 」と考える勢力と、これに反対する勢力とが争っていました。
日本は当然、前者を支援して朝鮮に勢力を広げようと考えていました。
しかし、時を同じくして、朝鮮への支配を強めようと考えていた国が他にもいたのです。
それが 清(当時の中国) です。
こうして日本は、朝鮮の支配権を巡って清と対立するようになりました。
こちらを見てください。
この絵は、朝鮮半島を狙う各国の様子を風刺したイラストです。
まず、中央下の部分に魚がいますね。これが 朝鮮 を表しています。
絵の左右には、釣り糸をたらして朝鮮を狙う人物が2人。こちらは服装を見ればわかりますね。
向かって左側、ちょんまげ姿が 日本 、右側が 清 を表しています。
そして、朝鮮を狙って釣り糸をたらす日本と清の様子を、橋の上から観察している人物がいますね。
この人物は ロシア を示しています。
当時、朝鮮をめぐって 日本・清・ロシア がにらみ合う緊張状態が続いていたのです。
1894年 日清戦争開始 講和条約は山口県の下関で結ばれる
1894年、日本と清との間で 日清戦争 が始まりました。
朝鮮半島などを主戦場として行われたこの戦争は、日本の勝利に終わります。
終戦後、山口県の 下関 (しものせき)という場所で講和条約が結ばれます。
こちらを見てください。
1895年に結ばれた、日清戦争の講和条約の様子が描かれています。
山口県の 下関 で結ばれたため、日清戦争の講和条約は 下関条約 と呼ばれます。
条約交渉に臨む日本の全権は 伊藤博文 と 陸奥宗光 でした。
下関条約の取り決め 賠償金2億両を支払い、台湾や遼東半島を日本に譲る
下関での講和会議で、日本と清は様々な取り決めをしました。
まず、日本は清に 朝鮮の独立 を認めさせます。
日本の思い通りに朝鮮をコントロールするため、清が口出しできないようにしたのです。
清の領土である 台湾・澎湖諸島・遼東半島 は、日本に譲ることになりました。
さらに、清は日本に 2億両(約3億1千万円) もの賠償金を支払うことになったのです。
1894年に、日本と清との間で日清戦争が始まったこと。
翌年には下関条約が結ばれたこと。
あわせて覚えておきましょう。
明治時代7のポイント3は、「日清戦争」です。