5分でわかる!下関条約と三国干渉
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この動画の要点まとめ
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1895年 下関条約 遼東半島は日本のものになるはずが...
下関条約において、日本は3つの領土を清から譲り受けることになりました。
台湾、澎湖諸島、遼東半島 の3つです。
地図の〇で囲まれた部分は 遼東半島 を示しています。
遼東半島は 朝鮮半島にも中国本土にも近づきやすい場所にあるので、とても重要な土地でした。
ロシアを中心とする「三国干渉」 日本は遼東半島を清に返還
しかし、日本が遼東半島を獲得することに反対する国がいました。
それは ロシア です。
当時、ロシアは貿易をするための港を求め、中国方面への進出を狙っていました(南下政策)。
ロシアは日本の動きを警戒し、日本に対して 遼東半島を清に返すように要求したのです。
その際、ロシアは ドイツ・フランス を誘い、3国でプレッシャーをかけてきました。
ロシアを中心とした3国が、日本に対して遼東半島の返還を迫ったできごと。
これを 三国干渉 といいます。
近代化が進んでいた日本といえども、ロシア・ドイツ・フランスの3国に対抗する力はまだありません。
日本は三国干渉を受け入れ、遼東半島を返還します。
このできごとを受けて、日本は ロシアへの対抗心を強めていきます。
将来ロシアと戦うことになったときに備え 軍備を拡張する動き が見られたのです。
下関条約で得た賠償金をもとに、八幡製鉄所が建設される
ロシアへの対抗心が強まる中、下関条約で清から得た賠償金の多くは 軍事力の強化に使われることになります。
こちらを見てください。
写真に写っているのは 八幡製鉄所 (やはたせいてつじょ)です。
現在の福岡県北九州市に建設された八幡製鉄所は、政府が経営する工場( 官営工場 )でした。
清から得た賠償金を使って建設 され、1901年に操業を開始します。
八幡製鉄所では 鉄鋼 が生産され、鉄鋼は武器の生産や鉄道の建設に使われました。
ちなみに、鉄鋼の主な原料は 鉄鉱石 と 石炭 です。
八幡製鉄所では、鉄鉱石を主に 中国から輸入 していました。
石炭は、主に九州北部の 筑豊炭田 (ちくほうたんでん)で採れたものを使っていました。
鉄鉱石の輸入先である中国に近く、石炭の産地である筑豊炭田にも近かった ため、現在の北九州市に官営工場が建設されたのです。
日清戦争に敗れた清では、1900年に 義和団事件 と呼ばれる運動が起こります。
義和団 と呼ばれるグループが、外国人を清から追い出そうとして暴動を起こしたのです。
日本やロシアを中心とする8か国は、共同で軍隊を送ってこれをしずめました。
国内の暴動も自力でおさえられないほど、清の力が弱まっていたということをおさえておきましょう。
明治時代8のポイント1は、「三国干渉と八幡製鉄所の建設」です。
1894年、日本と清(当時の中国)との間で 日清戦争 が始まります。
この戦いに勝利した日本は、講和条約である 下関条約 の中で、清の領土であった 遼東半島 を譲り受けることになりました。
こちらを見てください。